映画「不安の正体 精神障害者グループホームと地域」&満員札止めOUTBACK「まだ見ぬ世界へ」公演動画の豪華2本立てオンライン上映!
2021.11.23 Tuesday
精神障害にまつわる新作映像の豪華2本立て上映会をオンライン配信します。
2作品の上映後はそれぞれ監督、出演者とのディスカッションも予定しています。
配信日:2021/12/12(日)13:30〜 12/19(日)23:59まで見逃し配信あり
オンラインチケット販売ページ:https://kipz.fun/mall/event/1321
配信鑑賞チケット:1500円
※ウィリング横浜で行われる上映会のライブ配信となります。リアル会場での上映会の参加申し込みは以下よりお願いします。
神奈川精神医療人権センター https://kp-jinken.org/
【作品紹介】
『不安の正体 精神障害者グループホームと地域』
近年、精神障害のある人たちのグループホームが各地にできている。だがそれに伴い、地域住民によるグループホーム開設反対の運動が生じることも増えている。事業者が精神障害やグループホームについて説明しても反対の声は収まらず、こじれていくばかりだ。なぜこのような反対運動が起きるのか? 住民の不安の根本にあるものはなにか? そして、精神障害者のグループホームとは、実際にはどのようなものか?
グループホームに入居している方々の生活、インタビュー、反対運動の現場を通して、その実像を見つめる。
企画:池原毅和 企画協力:三橋良子
監督・撮影・編集・ナレーション:飯田基晴
製作:NPO法人自律支援センターさぽーと
制作・販売:映像グループ ローポジション
2021年/日本語/16:9/65分
「不安の正体」紹介ページ:https://www.lowposi.com/gh/
『OUTBACKアクターズスクール第1回公演「まだ見ぬ世界へ」』
今年4月に誕生したOUTBACKアクターズスクール、約20人の受講生のほとんどは、メンタルヘルスに何らかの不調を抱えた経験のある人たちです。この半年間、自らの病の経験を語り、その原因となった感性や苦難を乗り越えてきた力を、「表現」に変えていく作業に取り組んできました。個々の物語をミックスして、新たなひとつの物語へと紡ぎあげ、出演者たちもまだ見たことのない「まだ見ぬ世界」を舞台の上で披露したいと思っています。
彼らが、精神疾患を抱えながらサバイブしてきたことで得られた強さ、逞しさ、繊細さ、生へのエネルギーに注目してください。「精神疾患を持つ人」の見方がきっと変わるはずです。
OUTBACKアクターズスクール:https://outback-jp.com/
【配信スケジュール】
2021年12月12日(日)
13:30 第1部 映画「不安の正体」上映(65分)
上映後に飯田監督とのディスカッション
15:15 休憩
15:30 第2部 OUTBACKアクターズスクール第1回公演
「まだ見ぬ世界へ」の全編映像(40分)
上映後に出演者とのディスカッション
16:50 終了予定
12/19(日)23:59まで見逃し配信あり
オンラインチケット販売ページ:https://kipz.fun/mall/event/1321
DVD『地域猫活動のすすめ』動物愛護週間に無料公開!
2021.09.17 Friday
昨年の動物愛護週間はDVD『地域猫活動のすすめ』第1部を無料公開しましたが、今年は第1〜3部すべて無料公開します!
コロナ禍で地域猫活動の講演会など開けない状況が続いてますが、この機会に地域猫活動について、理解を深めて頂けたら幸いです。
個人的には、第2部「地域と猫と人間と」は、取材時の思わぬ展開を内容に盛り込むことができて、楽しんでもらえる作品になったと思っています。3本ご覧頂くと、地域猫活動というユニークな取り組みの魅力がきっと伝わると思います。
<DVD『地域猫活動のすすめ』動物愛護週間に無料公開>
DVD『地域猫活動のすすめ』を2021年の動物愛護週間(9/20〜9/26)限定でYouTubeにて無料公開します。
第1部・特別講義「黒澤泰による地域猫活動のすすめ」(20分)
第2部・ドキュメンタリー映画「地域と猫と人間と」(34分)
https://youtu.be/von7Mj0NEJI
第3部・対談「黒澤泰が選ぶ!地域猫のよくある失敗・ベストテン」(23分)
https://youtu.be/Pv_ZAghxCXg
DVD『地域猫活動のすすめ』作品紹介ページ:https://www.lowposi.com/neko/
ゆうこさんのこと 「あしがらさん」に至るまで
2021.08.31 Tuesday
ゆうこさんのこと 〜「あしがらさん」に至るまで〜 飯田基晴
1998年の2月7日は、僕の人生にとって大きな転機となった。
当時、新宿駅西口の地下には200人以上がダンボールの小屋で暮らす場所があり、通称、ダンボール村と呼ばれていた。ここに「ゆうこさん」という40代の女性も暮らしていた。ゆうこさんとは、当時僕が参加していた「たまパト」という野宿の人たちへのボランティアグループの活動で知り合った。ポッチャリした体格に柔和な顔、軽い知的障害もあったが、訪れるといつも人なつっこい笑顔で迎えてくれた。
路上に来る前、彼女はお兄さん夫婦の元で暮らしていたという。しかし、そのお兄さんからひどい扱いを受けるので家を飛び出したらしい。暴力を振るわれることもあったと聞いている。
新宿に来てから、彼女は男の人と一緒に野宿するようになった。しかし、その人が他の女性と付き合うようになり捨てられてしまったそうだ。そして行くあても無いまま一人でトボトボ歩いていると、正面から歩いてきた男性に声をかけられた。それが相内さんだった。
ゆうこさんはその出会いを語るとき、「おとうさん、優しい目をしてたの」と言う。
相内さんは60歳くらいで、20近い年齢差もあってか、ゆうこさんは彼のことを「おとうさん」と呼ぶ。2人は籍を入れ、ダンボール小屋で一緒に暮らしていた。
相内さんはゆうこさんと出会う前は毎日のように酒を飲んでは暴れていたが、彼女と一緒に暮らしてから酒は一切止めたそうだ。実際ゆうこさんも、相内さんが酒を飲むところは見たことがないと言っていた。
しかし2人とも持病があり、いつまでもこの生活を続けていられる状態ではない。相内さんは古雑誌を集める仕事をして生活費を稼いでいた。アパートを借りて2人で住むことを希望していたが、福祉の世話になることは相内さんがかたくなに拒んでいた。
そうした状況が続く中、1998年1月のある日、家に帰ると留守番電話に、
「ゆうこです。また電話します」
とメッセージが入っていた。
翌日に立ち寄ると、ゆうこさんが1人でいた。
「あら飯田さん、こんにちは。あたしきのう飯田さんに電話したのよ」
笑顔にかげりが見える。
「電話どうも、うれしかったですよ。ゆうこさんどうかしたの?」
「あのね…。最近おとうさんとうまくいってないの」
相談できる相手もなく一人で悩んでいたようだ。相内さんに若い彼女ができたという。もう何日もおとうさんとは口をきいてない、あたしも他に好きな人がいるし、その人といっしょになろうかな、と言う。
「飯田さん、あたし、もう別れようかしら。どうしたらいいと思う?」
障害や病気のことも含め、いま彼女が一人で生活をすることは困難だ。好きになった人ともすぐに一緒に暮らせる様子ではなさそうだし、家族の元へは絶対に帰りたくないと言う。
ゆうこさんには、行き場がない。
「ゆうこさんも、今すぐどこかに行くわけにもいかないだろうし、もうしばらく相内さんと一緒にいて、様子を見たほうがいいよね」
としか言えなかった。
ちょうどそのころ、僕の方も付き合ってる相手とうまくいかなくなり、悩んでいる時期だった。
「僕も今、ふられそうなんだ」
と告げると、
「そうなの…。飯田さん、かわいそうねぇ」
と自分の事をおいて心配し、
「でも飯田さんならすぐにいい人見つかるわ。Aさんはどう?」
と励ましてもくれた。ゆうこさんと話した後、僕は近くの小屋に暮らす木村さんという女性の所にも寄り、少しおしゃべりをして帰った。
その次の日、またゆうこさんから電話があった。何かあったのではと心配すると、
「おとうさんがその女の子と別れたの。だから仲直りしたんだ」
それを聞いてホッとしていると、
「木村さんに会ったら、『飯田さん、なんだか元気なかったわね』って言ってたの。だからあたし木村さんに、『飯田さんふられたの』って話したの。そしたら、『かわいそうね』って木村さんが涙ぐんでたから、あたしも一緒に泣いちゃった」
こっちこそ涙が出そうになった。僕のつらさを、まるで自分の事のように受け止めてくれる人たちがいる。こんな人たちに出会えたことが本当にうれしかった。
それからしばらくして、ゆうこさんの小屋を訪れると、相内さんと元気そうなゆうこさんがいた。もう1人いて「お隣に住む中村くん」と僕に紹介してくれた。
その2週間後、2月7日の早朝、ダンボール村で大規模な火災が起こり、瞬く間に約50人分のダンボール小屋が焼け、4人が亡くなった。
朝、たまパトのメンバーから連絡が入り、僕はその事を知った。何人かと連絡を取り合ううちに、ゆうこさんと相内さんが亡くなったと知り、愕然とした。
現場に着くとすごい燃え跡が広がっていたが、ゆうこさんのことしか考えられない。2人が小屋の中で一緒に亡くなったと聞き、居ても立ってもいられずその辺りへ行った。火災の現場にはロープが張られて近づけないが、2人の住んでいた付近は火元に近く、跡形もないほどに焼けていた。
近くで暮らす木村さんが火事の様子を話してくれた。聞いているうちに、僕は抑えるようにしていた思いが溢れ出し泣きじゃくっていた。木村さん自身、現場に居てとてもショックだったはずだが、
「飯田さん、ゆうこちゃんによくしてあげたじゃない。ゆうこちゃんうれしかったと思うよ。飯田さん、ゆうこちゃんの隣に住んでいた中村さんって知ってる? 中村さんはこっちの方まで火だるまになって逃げてきたの。重体で病院に運ばれたから、まだ生きている中村さんのために祈ってあげて」
と僕のほうが励ましてもらっていた。
その後、たまパトで新宿を回っているときに偶然、ゆうこさんと親しかったという男性に出会った。話をしていると、
「ゆうこが俺と一緒になりたいって言ってたんだ」
と聞かされた。
彼が言うには、アタシが体を売って働くから、とまで言っていたらしい。そんなことを言ったのかどうか、もちろん確かめようもない。しかし、この男性も体が悪く働ける状態ではなさそうだった。障害に加え病気をも抱えるゆうこさんだって仕事に就くことは難しい。一途なところのある彼女なら、そんなことも言い出しかねない気がする。振り返ると、哀しいほどに健気な人だったと思う。
彼女にはホレッぽいところもあったが、きっとそれ以上に、自分を包んでくれる優しさを求めていたのだろう。相内さんからその優しさが得られなくなったとき、懸命になって誰かの優しさを求めたのではないか。
僕は彼女の前に立つと、何だかとても優しい気持ちになれた。人の優しさを大事にし、自分の優しさを返してくれる、そんな人だった。
この後、僕はビデオカメラを手に、野宿の人たちを記録するようになっていった。